大分県杵築市観光協会公式ホームページ

町と歴史:観る・知る





上級武士たちの屋敷跡が並ぶ北台武家屋敷通り。中でも酢屋の坂近くにある大原邸は、家老屋敷として、その暮らし向きや風情が今でも漂う貴重な建築遺産である。

見事な茅葺屋根、敷地面積656坪という広さの中には、美しい回遊式庭園が見られる。この他にも間口の広い玄関、次の間の存在、紋入りの畳の縁、弓天井、そして厠(かわや)。華やかであるどころかむしろ、質素で堅実、それでいて格式の高さが随所に見えるなど、ここが身分の高い家老宅であったことの証が建物の隅々に残されている。

そしてこの建物は、江戸時代の文化や武家社会の教養、人への気遣いといったものを感じたり、読み解くことができる空間でもある。さらには、物を大切にしたり、節約するといった数々の知恵が洗い場やかまどに見られるなど、今でも興味深い工夫が残っている。



information
大原邸
〒873-0001
大分県杵築市杵築207
TEL:0978−63−4554
営業時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
定休日なし
入場料 個人:一般 200円/小・中学生 100円
 団体(30人以上):一般 160円/小・中学生 80円
 共通観覧券対応施設

 



北台武家屋敷群にある能見邸は、その建築様式などから幕末期のものと推測される。平成20年から2年に渡り大規模改修が行われ、建築当初の姿が再びよみがえった。敷地面積1440㎡、延べ床面積250㎡、屋敷内には玄関の間、上段の間を持つことから見ても、格式の高さがうかがえる。

能見家は、杵築藩主である松平家の出身地である三河国能見(現・愛知県)を姓に取り、5代藩主親盈(ちかみつ)の9男幸乃丞が初代。こうした格式ある家柄を映すように、庭や建物の様式美など、見ごたえのあるものになっている。一方では、美しさだけにはとどまらない、庭を鑑賞するための戸袋の工夫など、表には見えない高度な建築技術も随所に隠れている。

また改修に伴って、喫茶やお土産品など販売するコーナーも設けられるなど、屋敷を多目的に楽しめるようになっている。





information
能見邸
〒873-0001
大分県杵築市大字杵築北台208-1
TEL:0978-62-0330
営業時間

9:00~17:00(入場は16:30まで)

定休日 年末年始
入場料無料



勘定場の坂を上った所に、藩主の休息所として設けられた御用屋敷の「楽寿亭(らくじゅてい)」。その一部、玄関の間、客間の座敷、茶室の三部屋が磯矢邸として現在も残っている。

建築は文化13年(1816)、当主となった加藤与五右衛門がその後増改築を繰り返す中で現在の形になっていった。楽寿亭の役割が“休息”であったように、屋敷のいたる所には“癒し”のおもてなしが用意されている。

最もそれをよく表しているのが庭。屋敷中のどの部屋からも眺めることのできる庭の風景に、この屋敷のこだわりと心配りが見て取れる。全ての窓枠からそれぞれ違った庭の風景が映り、粋な計らいは手水鉢(ちょうずばち)や欄間にまで至る。庭に置かれた敷石の位置、計算され尽くした樹木の配置や種類、そして屋敷のあちらこちらに、200年の時を超えて語りかけて来る奥深い精神がある。



information
磯矢邸
〒873-0001
大分県杵築市杵築211-1
TEL:0978-63-1488
営業時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
定休日 年末年始
入場料個人:一般 200円/小・中学生 100円
 団体(30人以上):一般 160円/小・中学生 80円
 ※共通観覧券対応施設



北台の武家屋敷と商人の町をつなぐ土塀と石垣が印象的な酢屋の坂は、石畳が非常に美しい坂道。志保屋の坂とはたびたびセットで紹介されるがそれもそのはず。杵築を代表するこの二つの坂は相対していて、志保屋の坂を下りきれば、酢屋の坂にさしかかる。

坂の名前の由来は、谷町の商人と深い関わりがある。酒屋を営む塩屋長右衛門は、谷町から南台への坂の下で営んでいた塩屋(酒屋)をずいぶんと繁盛させた豪商で、その後は谷町から北台への坂の下で今度は酢屋の商売を始めた。

坂はそれぞれの商いから、「塩屋(志保屋 )の坂」「酢屋の坂」と呼ばれるようになった。このエピソードからもわかるように、坂はこの町と深くつながり、暮らしや人々を繋いできたばかりか、江戸の時代と今をこうしてつないでいる。こうした坂の存在が、杵築の貴重な個性となって輝いているのは言うまでもない。







杵築の町の中には町の形成に大きな役割を果たした坂の存在がある。その数二十。その一つ、見晴らすような酢屋の坂などとは趣を異にする番所の坂。うっそうと生い茂る竹林にその坂は続く。江戸の頃のままの姿を留めているといわれる、それが「番所の坂」。

少し湾曲した坂を上りつめた所に関所の門があり、番屋がある。江戸時代には、城下町に続く道々6カ所に番所が設けられその一つがここ、北浜口の番所であった。

この時代、番屋には常に番人が常駐し、番屋の他にも自身番を設けるなどして夜中の警戒に当たったという。当時はこの坂の下に番屋があって、常に番人が見張り関所の役割を果たして、時間になると大戸を閉め、人や物資の出入りを厳しく取り締まり、治安を守っていたという。その役割がそのまま坂の名前になったというわけだ。

かつてはこの坂の下に海が広がり、大坂、高松などから物や情報、文化までもが運び込まれたという。






「藩校の門」と呼ばれる歴史遺産がそのまま小学校の校門となっている。江戸時代から残る藩校学習館の「藩主御成門」が、現在でも杵築小学校の校門として子供たちを迎えている。このようなケースは全国でも非常に珍しく、藩政の頃から学問に力を入れてきたこの土地の風土が今に続くもの。

その礎を築いたのが杵築藩初代藩主の英親。以来、代々藩主は文教に力を入れ、七代藩主・親賢(ちかかた)は教育の基礎をまとめ1788年に藩校となる「学習館」を設立した。士族の子弟はもちろんのこと、平民の子弟も藩校へ通うことが許された。教授には三浦梅園や帆足万里ゆかりの者たちが起用されるなど、質の高い教育を行い、その結果、数多くの人材がここから輩出された。

学習館はその後明治の廃藩置県によって廃校となったが、その気風は「小学校」にも受け継がれた。小学校の敷地内にある藩校模型学習館には「学習館」の復元模型を設置公開している。


information
藩校の門
〒873-0001
大分県杵築市大字杵築





杵築城から北台武家屋敷を結ぶこの坂は、江戸時代、収税や金銭出納の役所があったことからこう呼ばれた。坂の上からお城の方角を眺めると、天守閣が見えてくる。

「勘定場の坂」は、ご城下にあって最も城に近い坂でもある。石段53段の坂は勾配24度の傾斜を持ち、石段の蹴上がり15㎝、路面は1.2m。お城勤めの家老たちを運ぶ馬や駕籠(かご)担ぎの歩幅まで計算したものだという。まっすぐに延びた石畳は素朴さの中にも堂々とした風格で続いている。

53段ある石段の中には興味深く、そして粋な物を見つけることができる。それは、北台武家屋敷からお城に向かって下りて行くと、数えて24段目にあたる石段。その石段中央の踏石には「富士山」の姿が描かれているのである。24段目にあることから「西(二四)の富士」と呼ばれた石段のもう一段下には湖に映る逆さ富士まで描かれるという凝りよう。坂のほぼ真ん中にあることもあって、この坂を訪れたら、ちょっと足を止め、粋な名前の付く石段を見つけ、江戸時代の職人の技と洒落た遊び心に触れてみるのも面白い。





好学の藩主によって、城下には学問や芸術に高い関心を持つ風土が生まれ、その結果多くの文人を輩出することになる。中でも佐野家は代々数多くの偉人を輩出した家である。

初代は、小笠原氏の時代から待医として召し抱えられ、以来400年もの長い間医家を営んできた。武家屋敷とはまた異なり、主を医者に持つ家屋敷の風情を感じながら巡ってみるのも興味深い。主屋が建てられたのが1782年、現存する邸宅の中では最も古いものとされる。始祖となる佐野徳安(とくあん)は、伊賀国名張郡出身であったが、大坂夏の陣の戦乱を避け、伯父の暮らす豊後竹田に移住、その元で医学を学び、後に杵築藩に仕えることとなる。

佐野家が興味深いのは、医家として藩に仕え名を残しながらも、詩文や書画、あるいは茶道、俳諧の分野においても多くの著名人を輩出したところ。佐野家の人々が三浦梅園や田能村竹田らと深く交流した様子が史実に残っている。医学を究めながら芸術を愛するこの家の高い教養が佐野家の伝統の中に息づいてきたことを屋敷は静かに物語る。


information
佐野家
〒873-0001
大分県杵築市杵築329
TEL:0978-62-2007
営業時間 9:00~17:00(入場は16:30まで)
定休日 年末年始
入場料
個人:一般 100円/小・中学生 50円
 団体(30人以上):一般 80円/小・中学生40円
 ※共通観覧券対応施設